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'''阿左美駅'''(あざみえき)は、[[群馬県]][[みどり市]]笠懸町阿左美にある[[東武鉄道]][[東武桐生線|桐生線]]の[[鉄道駅|駅]]である。駅番号は'''TI 54'''。
 
'''阿左美駅'''(あざみえき)は、[[群馬県]][[みどり市]]笠懸町阿左美にある[[東武鉄道]][[東武桐生線|桐生線]]の[[鉄道駅|駅]]である。駅番号は'''TI 54'''。
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== 歴史 ==
 
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桐生線開業時には阿左美駅は設置されていなかった。[[1935年]]([[昭和]]10年)ころ、阿左美沼の遊園地化を目論んでいた今井伊太郎が、東武鉄道社長の[[根津嘉一郎 (初代)|根津嘉一郎 ]]にかけあい駅設置が認められ、[[1937年]](昭和12年)に開業した<ref>阿左美地区の軍需工場への通勤の便を図るための設置との話もあるが、軍需工場が設置されたのは駅開業後の[[1944年]](昭和19年)である。</ref>。[[1954年]](昭和29年)12月にはホーム拡張工事中に縄文時代の住居跡が発見され、発掘調査が実施され県史跡に指定された。昭和40年代になると赤字を理由とした駅の廃止が計画され、当時の所在自治体である[[笠懸町|笠懸村]]議会が、[[1971年]](昭和46年)1月および[[1973年]](昭和48年)7月の二度にわたり駅廃止反対の決議を行い陳情をした。
 
桐生線開業時には阿左美駅は設置されていなかった。[[1935年]]([[昭和]]10年)ころ、阿左美沼の遊園地化を目論んでいた今井伊太郎が、東武鉄道社長の[[根津嘉一郎 (初代)|根津嘉一郎 ]]にかけあい駅設置が認められ、[[1937年]](昭和12年)に開業した<ref>阿左美地区の軍需工場への通勤の便を図るための設置との話もあるが、軍需工場が設置されたのは駅開業後の[[1944年]](昭和19年)である。</ref>。[[1954年]](昭和29年)12月にはホーム拡張工事中に縄文時代の住居跡が発見され、発掘調査が実施され県史跡に指定された。昭和40年代になると赤字を理由とした駅の廃止が計画され、当時の所在自治体である[[笠懸町|笠懸村]]議会が、[[1971年]](昭和46年)1月および[[1973年]](昭和48年)7月の二度にわたり駅廃止反対の決議を行い陳情をした。

2015年12月22日 (火) 21:46時点における版

阿左美駅(あざみえき)は、群馬県みどり市笠懸町阿左美にある東武鉄道桐生線である。駅番号はTI 54

歴史

桐生線開業時には阿左美駅は設置されていなかった。1935年昭和10年)ころ、阿左美沼の遊園地化を目論んでいた今井伊太郎が、東武鉄道社長の根津嘉一郎 にかけあい駅設置が認められ、1937年(昭和12年)に開業した[1]1954年(昭和29年)12月にはホーム拡張工事中に縄文時代の住居跡が発見され、発掘調査が実施され県史跡に指定された。昭和40年代になると赤字を理由とした駅の廃止が計画され、当時の所在自治体である笠懸村議会が、1971年(昭和46年)1月および1973年(昭和48年)7月の二度にわたり駅廃止反対の決議を行い陳情をした。

  • 1937年(昭和12年)5月5日 - 開業。
  • 1954年(昭和29年)12月 - ホーム拡張工事中に縄文時代の住居跡が発見される。
  • 1955年(昭和30年)3月7日 - 3月9日 - 住居跡の遺跡調査が行われる。
  • 1960年(昭和35年)3月23日 - 住居跡が群馬県指定史跡となる。

駅構造

単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅舎・ホームは線路の西側にある。

ホーム中ほどの群馬県道68号桐生伊勢崎線(桐生県道)寄りに、「阿左美縄文式文化住居跡」(群馬県指定史跡)という縄文時代の住居跡がある。

利用状況

2014年度の1日平均乗降人員は584人である[2]

駅周辺

隣の駅

Tōbu Tetsudō Logo.svg 東武鉄道
TI 桐生線
藪塚駅 (TI 53) - 阿左美駅 (TI 54) - 新桐生駅 (TI 55)

脚注

  1. 阿左美地区の軍需工場への通勤の便を図るための設置との話もあるが、軍需工場が設置されたのは駅開業後の1944年(昭和19年)である。
  2. 駅情報(乗降人員) - 東武鉄道

参考文献

  • 『笠懸村誌 下』1987年、264、695-697頁
  • 佐藤博之・浅香勝輔『民営鉄道の歴史がある景観3』古今書院、1999年、16-18頁

関連項目

外部リンク